August 18th is
August 18th is
牧師舎は涼しかった。
神波は交通整理をするように、俺を浴室に向かわせて、和泉の両手をキッチンで洗った。
シャワーを浴びて汗を流すと、いらいらした気持ちも大分おさまった。
久保谷の告白が落ち着いて、白峰が買い物から帰ってきたら、みんな思い出すのかもしれない。今日が俺の誕生日だってこと。茅は元々、気が利かないから仕方がない。
神波はアイスキャンディをごちそうしてくれた。子供が食べるような細い奴だ。
「誠二、何してたの」
「説教の原文作ってた。君らは何してたの? こんな暑い日に外を遊び回って。たしか、今日ってレンレンの……」
和泉は神波の口を塞いだ。オレンジ味のアイスキャンディを齧りながら、俺はふと思い出す。
「そうだ、神波。おまえの連絡先、聞いていいか?」
「いいけど、なんで?」
「叔父貴が知りたいって」
「吾朗さんじゃ嫌だなあ」
ソファに凭れて神波は苦笑した。どこで知り合ったのかわからないが、叔父貴と神波は旧知の仲らしい。
和泉が興味を示して、神波の隣に座った。
「なんで、吾朗さんだと嫌? 怖いから?」
「そうそう。あの人、歳食って、尚更ヤクザみたい」
「言えてる」
神波の冗談に、俺も笑った。携帯を取り出して、教えろよとせがむ。本気か冗談かわからない顔で神波は笑った。
「嫌だって言ってるのに」
「飲みに行こうとか、そんな話だよ。教会にかけられても困るだろ」
俺は二人の仲を取り持ってやりたかった。叔父貴は最初、神波に近づくなと言ったのだ。昔何かあったらしいが、和解しようとしてるなら協力したい。
「叔父貴、顔は怖いけど、そんな怖い奴じゃないからさ。あんたのことも嫌ってたけど、仲直りしたいみたいだし」
「誠二のこと、嫌いなの?」
「冗談で言ったのかもしれないけど」
「若い頃に、吾朗さんの恋愛相談に乗ったんだよ。だけど、俺のアドバイスで失敗したから、今でも怒ってるわけ」
「なんだよ、そんな理由?」
俺は拍子抜けた。叔父貴も随分、懐の小さい男だ。叔父貴の格好悪い話は、俺まで情けない気持ちにさせた。
和泉は真っ直ぐに、神波を見ていた。
「吾朗さんの好きな人、奪った?」
「そんなことしないよ」
「誠二の、若い頃って。誠二、遊んでた?」
「ひどい偏見」
「十代の時に好きだった人って、今でも好き?」
優しげに目を細めて、神波は微笑む。
「さあ。名前が思い出せたら」
和泉は沈黙した。
ふいと、弱く目を逸らす。
俺は棒の下の方に残ったアイスキャンディと格闘していた。
「おまえ、チャラチャラしてそうだもんな。どこかに隠し子でもいるんじゃ……、うわ!」
和泉に蹴りつけられて、アイスがソファに落下した。
額に青筋を浮かべながら、布巾を取りに神波が立ちあがる。
「キッチンはチョコまみれにするわ、ソファはアイスまみれにするわ……。この夏、蟻の味方なの?」
和泉は勢い良く、神波を振り返った。ショックを受けいるようだった。
「失礼なこと言ったの、煉慈じゃん」
「蹴ったのはさっちゃんでしょう。手を上げた方が悪いよ」
「………っ」
和泉は俺を睨みつけた。ふん、と俺は口端を上げる。
「怒られてやんの」
大きな瞳が殺気立った。
「殺すよ」
その時、インターホンが連打された。キッチンで布巾を絞りながら、神波が玄関を振り返る。
「あの鳴らし方、瞠くんだ。どっちか出てくれる?」
仏頂面で和泉が動かなかったので、俺が立ちあがった。
ドアを開けると、手で風を煽っていた久保谷が、目を丸くして飛び上がる。
「うわ、レンレン! ここにいたの?」
「なんだよ、うわって……」
大きなビニール袋を後ろ手に隠しながら、久保谷は玄関からキッチンに向かった。
「レンレン、まずいなー。ちょっと他の所いて欲しいなー」
「はあ? いい加減にしろよ。あっちこっち引っ張り廻して、影で何やってんだ」
「何もしてないよん。さっちゃん、さっちゃんはー?」
明るく呼びかけた久保谷は、怨霊のような和泉の眼差しを受けとって、うっと呻いた。
げしりと神波の足を蹴りつける。
「いたっ。え? 何?」
「何言ったんだよ、あんた。狭いからどいて。オーブン借りていい?」
久保谷はキッチンの影で、忙しそうにしていた。何か料理を作るのだろうか。
袖をまくりながら、俺は近づいていく。
「手伝おうか?」
「ひい……!」
手元を覗きこまれて、久保谷は悲鳴を上げた。慌てた笑顔を浮かべながら、ぐいぐいと俺を押し出す。
幽霊棟の時と同じだ。
居場所を奪われ続けることに、俺は次第に耐えられなくなった。
「いやいや、大丈夫っス! さっちゃーん、レンレンとどっか遊びに行ってきなよ」
「瞠が行けば?」
「もー。なんだよ、その態度」
「むかつく。煉慈も瞠も」
「それはないだろ。今日はレンレンの……」
「――もういい!」
声を張り上げて、俺は玄関に向かった。
しん、と久保谷と和泉が静まり返る。
心のどこかで楽しみにしていたのに、今日はずっと、あの日途切れた電話みたいだ。
俺と同じだけ、祝福してくれる奴が、どこにもいない。
「……もういい。実家に帰る」
「ま、待ってよ、レンレン……」
「待ってたのは、ずっと俺だよ! ……おまえらは忘れてるけど、自分で言いたくなかったけど、今日は俺の誕生日だったんだ」
背中に沈黙が返って、俺は情けない気持ちになった。
寂しさに腹を立てて、乱暴に靴を吐き潰す。おめでとうと言う声を、待ってるだけで良かったはずなのに。去年はそうしてくれたのに。
清史郎の影に隠れて、忘れられてしまったんだ。
「じゃあな……」
ドアのノブに手をかけた瞬間、背後から引き留められた。
引き留められたというより、ハグだった。驚きながら、気まずさを隠して、久保谷を振り返る。
「……なんだよ」
「愛情注入」
久保谷は笑って、俺の背中に頬を寄せた。
「ごめんなあ、レンレン。大事なこと忘れてたわ。あいつはノープランだから、手間取っちゃってさ」
「…………」
「寂しくさせちゃったよな。でも、もうすぐだからさ。ちょっと胸を貸すつもりで、どんと構えててよ」
「……俺の誕生日の準備をしてたか?」
「あはは、悪い悪い。そっちはうっかり忘れてたんだけど、ちょっと他の事情があってさ」
「他の事情……」
腹の前で組まれた、久保谷の指を見下ろして、俺ははっと振り返った。
「そうだ。おまえの告白どうなった?」
「告白って?」
久保谷と神波の声が揃った。友情を蘇らせた俺は、はっと神波を制する。
「だめだ。おまえは聞かなかったことにしろ」
「は?」
「いくら血の繋がりがなくたって、親みたいな奴に聞かれたくはないだろ。ごめん、久保谷。気が利かなくて……」
「え? なんのことです?」
瞬きする久保谷の後ろで、神波がにやにや笑った。
「なんだ。瞠くん、女の子に振られちゃったの?」
「振られてねえよ」
「女ならまだいいよ」
「え?」
「え!?」
「誰に振られたの?」
「振られてねえって」
「付き合ってるの?」
「付き合ってもねえって!」
携帯画面を見つめながら、和泉が助け船を出した。
冷たい声で。
「――誠二には話したくないって」
「こじらせんなよ、さっちゃん……」
「な? おまえも大人なんだから察せよ、神波」
「レンレンももういいです。なんかありがとうございます」
力なく笑う久保谷のポケットから、携帯の着信音がした。白峰からだった。
「お疲れ、ハルたん! 牧師舎の方に2パック届けて。そしたら、レンレンとどっかで涼んでてよ」
今度は白峰の所に派遣されることになりそうだ。
十分後、汗まみれになりながら、白峰が姿を現した。ハーフヘルメットを外して、牧師舎のドアに凭れかかる。
色白の白峰は、頬や腕が真っ赤に焼けていた。
「あっつい。死ぬ……」
「お疲れだよー! 冷たいの飲んで行きな。あんたちょっと、グラスに氷入れて」
「ありがとう。これ、頼まれた奴」
白峰が渡したものは、卵のパックだった。Lサイズのものが2パックもある。
麦茶を一息に飲み干して、白峰は俺を指先で招いた。
「行こっか」
白峰は原付の後ろに俺を乗せた。本来なら、原付は二人乗りは禁止だ。
「ゆっくり走るから、おまわりさん来たら飛び降りてね」
難易度の高い命令だった。
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