• 賢太郎のアパートを訪ねると、彼はすでに部屋着だった。シャワーを浴びたばかりなのか、髪が濡れている。
  • 咥え煙草で玄関を上げながら、彼は瞠の姿に眉を上げた。
  • 「なんだ。春人一人じゃなかったのか」
  • 「瞠も一緒でいいってメールしたでしょう」
  • 「一緒だとは言わなかった。まあいい、入れよ。飯は買ってきたか」
  • 部屋の中に入って行く賢太郎に、俺はケンタッキーの袋を渡した。こたつの上のビールはすでに蓋が開いていた。
  • 出だしから賢太郎があんなことをいうから、瞠が不機嫌になってはいないかと俺は心配した。
  • それは余計な心配だったようで、彼は鼻歌まじりに皿出しを手伝っている。賢太郎さえ気味悪がった。
  • 「今日はタンカを切らないんだな」
  • 「貴重な30分を過ごしたんでね。俺は一生クリスマスにはケンタッキーを食うって誓うよ」
  • 俺たちは部屋でこたつを囲みながら、ケンタッキーをむしゃむしゃ食べた。
  • 脂のついた指を、賢太郎は平気で服で拭く。そういうところは清史郎に良く似ていた。
  • 服に染みがつくのが気になって、俺はナフキンを全部賢太郎の傍に置いた。洗えば落ちるだろと賢太郎は言う。彼の家の洗剤は、よほど万能らしい。
  • ビールを飲んで、笑い声を上げ、ほどよく眠くなった頃に、賢太郎はシャワーをすすめた。
  • 先に瞠が立ち上がって浴室に消えていく。俺は酔っ払ってしまって、だいぶ眠かった。
  • 「眠いんだろ」
  • 「ふふ……。うん。嘘。内緒」
  • 「酔ってるな」
  • 「うん」
  • 「ガキだけで外では飲むなよ」
  • 「家でも飲むなって言わないの。悪い大人」
  • からかうように見上げると、目を細めて賢太郎は微笑んだ。彼のやさしい顔は好きだった。
  • 「どうしようか」
  • 「何が?」
  • 「寝る場所だ。瞠まで来ると思わなかったからな。おまえら、こたつで寝るか」
  • 「どこでもいいよ。一晩中起きてたっていいし」
  • 「嘘付け。持たないくせに」
  • 笑う彼の肩越しに、浴室のシャワーの水音が響いてくる。
  • 賢太郎は身を乗り出して、俺の傍らに手をついた。背を屈めた彼の耳が間近で、形が良く見える。
  • 「こたつの足がさ。高くなるはずなんだ」
  • 「はは……」
  • 「何がおかしい」
  • 「もぞもぞしてるから」
  • 「おまえらの寝床を作ってやってるんだよ」
  • 「ベッドで三人で寝ようよ。体育座りでさ、朝まで女の子の話するの」
  • 「俺が高校生なら付き合ってやったかもな」
  • まったく相手にせずに、こたつにばっかり構っている賢太郎に、俺はやんわりと眉を上げた。
  • 「大人ぶってばっかり」
  • 「大人なんだよ」
  • むっと口を曲げて、俺はがら空きの脇に手を伸ばした。
  • 指を折り曲げてくすぐった瞬間、変な声を上げて賢太郎が飛び起きる。
  • 勢いよく上がった頭と、俺の頬がごちんとぶつかった。
  • 「痛っ……、あはは! 痛い」
  • 「馬鹿じゃないのか、おまえ!」
  • 賢太郎は罵倒しながら、慌てて俺の顔を鷲掴んだ。
  • 「痛かっただろう、今」
  • 「はは……。うん、痛かった。くすぐったいの?」
  • 「酔ってるな……」
  • 「ふふ……」
  • くすくすと笑いながら、俺はもう一度、賢太郎をくすぐろうとした。
  • ふにゃふにゃの攻撃は簡単よけられて、手首を掴まえられる。必死な賢太郎がおかしくて、声を上げて笑った。
  • 「むきになってる」
  • 「そんな飲ませてないのに……。あったかいな、おまえ。眠いんだろう」
  • 「はは……。大人ぶったくせに、くすぐられたくらいで……」
  • 「もう寝ろよ」
  • 「眠くないよ」
  • 「ベッドを貸してやる」
  • 「やだ」
  • 「春人」
  • 「やーだよ」
  • ぺたりとこたつの天板に頬をくっつけた。ひんやりしていて気持ちが良かった。
  • 賢太郎の指先からは、チキンの脂と、煙草の匂いがする。
  • 大人の男の匂いのような気がした。
  • 今度からは、俺も汚れた指を無造作に、服で拭ってみせようか。
  • そういう仕草、俺には、様にならない気がするけれど。
  • 「楽しみだったからさ」
  • 賢太郎は不思議そうに瞬きをした。
  • 津久居賢太郎は格好いい。変な瞬間に、俺は確信した。
  • 「瞠に悪いことしちゃったな」
  • 彼に甘えたいのか。彼をあっと言わせたいのか。彼のようになりたいのか。
  • 良くわからない。
  • いじらしいことも、ずるいことも出来ない。
  • すまして飲んだビールのおかげで、夢心地で気分が良く、途方もなく眠たいだけ。
  • 大人の余裕を真似ながら、きっと、はしゃいでいたんだ。
  • 浴室のシャワーの音が止まる。意地悪い笑みを浮かべて、賢太郎が耳元に囁く。
  • 「構って欲しかったんだろ」
  • 「そうだよ」
  • 駄々をこねる子供の振りをしながら、間近な気配を伺う。
  • 彼がかすかに息を呑む。ガチャリとドアが開く音がして、瞠がタオルーと叫んだ。