カマキリロシアンルーレット
【0430】光智寮 340号室
「虫は苦手だけど、幼虫一匹くらいなら、たぶん大丈夫だよ」
卵を受け取った茅晃弘の言葉に、同室の和泉咲は目を輝かせた。
茅はカマキリの卵が、品良く一匹だけぷちんと生まれると思ってる。鳥肌の立つような数で沸いてくるとは知らないのだ。
(素敵)
今夜は彼の悲鳴が聞けるかもしれない。
「晃弘、僕はカマキリが苦手」
「ゴキブリもカトンボもクモもアブも平気なのに?」
「カマがあるから」
「そうか」
「だから、晃弘の枕元において」
「…………」
茅は一瞬、困惑を見せた。
その表情に和泉は完全に高揚した。顔には出さないまま、携帯カメラの準備だとか、よりパニックが起きるための計画だとかに頭が奔走する。
「遠くにおいておこう。玄関の靴箱の前辺りに」
「枕元にしよう」
「嫌だ」
「幼虫一匹なのに」
「…………」
茅は途方に暮れた。
砂漠の旅人の所在無さで、深刻に目を伏せる。
「清史郎はどうして、こんなことを頼んだんだろう……」
「ああ、晃弘。かわいそうに」
和泉はうっとりしながら、うつむく茅を上向かせた。
「孵化した部屋が負けだというなら、僕は負けでも構わないんだ。出来ることなら、尖った足や、小刻みに震える羽を見たくない」
「そうだね、晃弘」
「どうして、機嫌が良さそうなんだ」
「男子厨房入るべからず、害虫汚物は他人が処理します、って家で育った無菌の君を心配してる。心から」
「今日は饒舌だな」
「悲鳴は大きな声で」
「悲鳴?」
「僕も一緒のベッドで寝てもいい」
「カマキリと寝てくれ」
枕元に置くのを茅が嫌がったので、和泉はあきらめて玄関に置いた。
振りをした。
「…………」
電気を消して、寝静まった後、こっそり二段ベッドから起きだす。梯子も軋まないように、慎重に慎重に爪先で踏む。
くすくすと笑い出すのを堪えて、カマキリの卵を拾い上げた。
眠っている茅のベッドのカーテンを開けて、これをそっと枕元に置こう。
やりすぎたいたずらだとしても、和泉はこういうのが好きだった。
いつだって彼は、何かに胸躍らせていたかったのだ。
「ふふ……」
すーっと静かに、茅のベッドのカーテンを開く。
「………!」
狭い寝台を覗き込もうとして、和泉はぎょっと飛びのいた。
茅が目を開けていたからだ。
「――こんばんは」
「こんばんは……」
跳ねる心臓を押さえつけて、かろうじて和泉は応えた。
木の枝を背中に隠すのも忘れない。
「珍しいな」
「何が」
「和泉が跳ねた」
「…………」
和泉は目を細めた。
何か言い返したかったが、レンズのない茅の目に言葉を忘れた。
茅は素顔だと、ちょっと怖い顔をしてる。
「いつから?」
「何が」
「起きてたの」
「寝台が軋んで」
眠たそうにでもなく、茅は瞬きをした。
「そう」
なんとなく、和泉は茅が哀れになった。真夜中の気配に敏感なのは、決して幸福な証ではないから。
「君は目覚めがいい」
「そうかもね」
「毎晩そうだった?」
「ああ」
「僕は君に悪いことをしてた?」
「いや。目が覚めても、すぐに眠るから」
何がおかしかったのか、茅は少しだけ笑った。
それは悲鳴と同じくらい、和泉を満足させた。
「朝が来るのが長い夜もある。そういう時間に聞こえる音は、決して不愉快なものじゃないんだよ。真夜中の空に流星を見つけたように」
「流れ星を?」
「それを待っていたような気がして、僅かだけ満たされる。錯覚だろうけど、何もない夜や長い時間には、そういうことが必要なんだ。――僕のような人間には特に」
和泉は黙って聞いていた。
茅の言っていることの半分も、和泉はわからなかった。だけど、和泉は和泉らしく、スピリッツで受け止めた気がしていた。
「ふふふ」
和泉は笑った。
悲鳴を上げさせるためではなく、流れ星のように、枝つきの卵を寝台に投げ込んだ。
茅は飛び起きた。和泉は慌てて携帯を掴んだ。
鬱病のような茅も、躁病のような自分も、ちょっぴりかわいそうで、だいぶ愛しかった。
連休中だから、夜更かしだって問題ない。
木の枝にくっついた卵は、僅かに亀裂を広げている。
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