The Unbirthday Party (with R)

ススム



煉慈は絶対に、喜ぶと思った。

「知り合いの家で、料理を教えて欲しい?」

「うん」

キッチンにいる煉慈と、食堂にいる僕は、顔を見なくても十分声が届く。このまま会話できるのに、煉慈はわざわざキッチンから出て来た。

張り切っているようだ。

「俺にか? いつ?」

エプロンで手を拭きながら、煉慈は怪訝そうに眉を上げた。興味津津のくせに、素直じゃない。

「週末」

僕はわざと素っ気なくした。

煉慈はうずうずしはじめる。煉慈はいつだって自分の料理が褒められるのを待ってる。先生役なんて大喜びに違いない。

そのくせに「参ったな」なんて言う。

「月曜が締め切りなんだ。日頃の勘で言えば、交渉次第で伸びそうだけど……」

ほらきた。僕は内心で笑った。

乗り気じゃない振りなんて嘘。煉慈はもっと僕に口説いて欲しいだけ。ちやほやされる時間を伸ばしたがってるだけ。

ちらちらと伺う煉慈に、僕は目を合わせてやった。偉そうに腕なんか組んで、僕の出方を待ってる。もしも僕が瞠なら、こう言ってあげただろう。

そこを何んとかさ。頼むよ、レンレン。あんたしかいなくてさ。

「ならいいや」

「おいおい、待てよ。何とかならないことはないぜ。仕方ねえな、調整してやろうか?」

駆け込み乗車をするみたいに、煉慈は慌ててOKサインを出した。シナリオ通りだ。だけど、調子に乗った分、僕は意地悪をしてやる。

「忙しいんでしょ」

「まあな。おまえらと違って、俺はやることが多いからな」

減点1。

「面倒な頼みだが、息抜き程度にはなるだろ。どうしてもって言うなら、引き受けてやっても構わないぜ」

減点2。

「他の奴ならともかく、おまえの頼みだしな」

おっと。

僕は目を丸くした。案外かわいいことを言う。仕方ないから、満点を上げよう。

「ありがとう」

煉慈はとても満足そうだった。

その矢先に、顔を曇らせる。煉慈は警戒信号を発して、真剣に僕に尋ねた。

「女の家か?」

煉慈は初対面の女の子が苦手なんだ。ありのまま接すると、眉を顰められたり、泣かれたり、くすくす笑われたりするから。

僕は煉慈を安心させてあげた。

「男の家だよ」

心配事が無くなって、煉慈はにっこりした。僕は嘘をつかなかった。

彼の苦手な僕の姉は、元恋人とよりを戻して、彼の家に転がり込み、男名義の家に住んでいるのだから。








背が高くて饒舌な煉慈。背が低くて無口な僕。

正反対なものが多い僕らにも、ほんの少しだけ共通点がある。

右利きなこと。友達が少ないこと。歯ブラシはやわらかめより、かためが好きなこと。

――初恋が実らなかったこと。











  The Unbirthday Party (with R)  




「いらっしゃーい」

花が玄関を開けると、煉慈は口を開けたまま硬直した。

張り切って持ってきた小道具や、レシピの本をどさりと落とす。重たい鞄を見た時、僕はちょっとだけ煉慈に同情したものだ。ジーザス、煉慈。そんなに楽しみにしてたなんて。

「……こいつは女じゃねえか!」

「そうだね」

「騙したのかよ!」

「男の家だよ」

石野と書かれた表札を僕は指差した。煉慈は目を白黒させて、歯を食いしばっている。言いたいことがたくさんあるに違いない。

「煉慈じゃん、久しぶり」

煉慈の悲劇を知らない花は、陽気に笑って、ぽんと彼の胸元を叩いた。咲きこぼれる笑顔は、相変わらずきれいだった。

花は僕の姉だ。

女神のように美しく、犯罪的に性的魅力にあふれてる。

さらさらと肌に触れる癖のない長い髪も、きらきら輝く猫のような目も素敵。胸が大きいのが自慢だから、わざとぴったりした服を着る。くびれた腰はどうしたっていやらしい。

花は特に足がきれいだった。ほっそりと白く、ふくらはぎの柔らかい形なんて、非常識なくらいセクシーだ。手触りもいい。一度触るとずっと撫でて触ってしまう。太腿はもっと白くて……。

…………。

身内を褒めるのは止めにしよう。誤解を生む前に。

とにかく、僕は花に頼まれて煉慈を呼んだ。さらに本当のことを言うと、料理を教えるという口実で、単に僕が煉慈を招きたかった。どうしてかって? 

今夜この家でホームパーティが開かれるからだ。僕の大嫌いな石野眞という変態と、その妻になる姉のホームパーティ。かわいそうな僕に苦痛しか生まない時間に、僕は招待されてしまった。神様だってわかってくれる。心のよりどころが、僕には必要だってこと。

これから始まるホームパーティを煉慈は全く知らない。哀れな犠牲者ではあるんだけど、聡明な彼は言っていたよね。息抜きは必要だって。

オーケイ、煉慈。僕を理解してくれてありがとう。僕は気晴らしのためには、何だって取り組む男だよ。

「どうぞ、上がって」

自分の家みたいに、花は僕らを招く。その仕草は、ちょっと面白くなかった。

中学までは僕と暮らしてたから、男を連れ込んでも、同棲なんかはしなかったのに。だいたい、僕と暮らしてた部屋を無断で引き払うなんて、ちょっと薄情すぎる。今じゃすっかり、この家の女だ。

イライラしそうになって、僕は煉慈を見上げた。額に汗を浮かべて、狼狽している彼の横顔を見ているうちに、僕の心はだんだん癒された。

煉慈を連れてきて良かった、と僕は心底思った。

「行こう、煉慈」

「……教える相手が男かって意味で、男の家かって聞いたんだ」

知ってるよ、煉慈。

「よりによって、ここは変態サディストの家で、相手はおまえの姉貴じゃねえか。真面目にやる気があるわけない」

「そんなことないって」

「おまえの姉貴だぞ」

「説得力があるね」

眉を顰めて、煉慈は悲しい顔をした。彼はとても楽しみにしていたんだ。僕は彼が愛しくなって、優しく背中を撫でた。

「騙してごめん。君の力が必要なんだ、煉慈」

「……ちっ、仕方ねえな」

ころりと機嫌を直して、煉慈は玄関にあがった。廊下を抜け、リビングダイニングに入る。

室内を眺めるうちに、煉慈はたちまち眉をしかめた。

呆然と立ち尽くしながら、荷物をカウンターテーブルに置く。

「なんだ、この間接照明しかない部屋は……」

ぎょっとする煉慈の顔も、キャラメル色の光と陰で揺れていた。

広いリビングダイニングに、明るい白熱灯は一つもない。照明は全部、壁や、天井に向けられて、交錯して、混じりあって、家具や人の上に光と影のしげみを作る。

セピアの森の中では、誰の肌もなめらかに映る。煉慈でさえセクシーだ。きっと僕もだろう。

かつて、眞は言った。

この部屋はどこに座っても、女性がきれいに見えるんですよ。

「どうして、リビングにベッドが置いてあるんだ。寝室がないのか」

「あるよ。あるけど、クローゼットに使ってる」

セクシーな煉慈の呟きに、セクシーな花が答えた。

「なんでだよ。寝室におけよ。キングサイズくらいあるんじゃないか、あのベッド」

「私が来た時からこうだったもん」

「配置がおかしいだろ。こんなだだっ広いのに、ダイニングテーブルもないし。どこで飯食うんだよ」

「ラグの上で食べてる」

床を指さして、花は答えた。煉慈はさらに怪訝そうだった。

僕には眞の意図がわかる。女の子を直に座らせたいんだ。横座りで投げ出した足が見たいんだろう。

本当にいやらしい奴。

「雰囲気変だぞ、この部屋!」

みだらな間接照明にあらがって、煉慈が健全な声を張り上げる。抵抗むなしく煉慈はセクシーなままだった。

キッチンカウンターに花が頬杖をつく。向かい合った二人は、まるで情事をはじめる前の男女だ。

「眞にとって一番いい動線なんだよ。ここでごはん食べて、あそこですぐにエッチできる」

「そ……っ」

煉慈は赤面して絶句した。

ぱっと花から目を逸らして距離をとる。煉慈はこれだから安心だ。そうかい、ハニー。俺とも試してみない? なんてことは絶対言えない。

壁を指さして、煉慈は露骨に話題転換した。

「あの写真は、石野が撮った奴か?」

ベッドとラグと壁掛けの液晶テレビくらいしかないシンプルな部屋の壁には、写真パネルが飾られていた。 

興味を向けて、煉慈がパネルに近づく。彼はまだ気づいていない。飾られたモノクロ写真の9割が、ヌード写真だと言うことに。

ようやく気づいたみたいだ。口元を押さえて、視線を泳がせる。

「裸じゃん……」

「そうだよ。これ私」

「え!?」

文字通り、煉慈は飛び上がった。

あの写真は僕も知ってる。眞が賞を取ったときのやつだ。裸の花があぐらを掻いて、ドライヤーを髪に当ててる。

「おまえ……。いいのか、これ」

煉慈は花じゃなく、僕に尋ねた。彼の隣に立ちながら、僕は目を細める。

「雑誌に載ったし。今さら」

「作品だもんな……。そうだよな、作品だ」

文化人として、煉慈は自分に言い聞かせていた。たしかに眞のヌード写真は、ポルノと言うよりアートだ。肌の感じが冷たかったり、暖かかったりする。

前に来た時から、写真のパネルは変わっていた。なくなってるものがあったり、新しいものがあったりする。

膝を抱えるヌードの女、筋肉質なヌードの外人男性、ガレージで無邪気に笑うセミヌードの女、蛇のような背中のヌードの女、寝台に眠るセミヌードの少年……。

「女の写真むかつくから、一回、全部外してやったの」

「へえ」

「そしたら、ゲイの部屋みたいだから止めてくださいって」

「ゲイの部屋にしてやればよかったのに」

花に答える僕の隣で、いきなり、煉慈が叫んだ。

口元を押さえて、一つのパネルを指さしてる。

「どうしたの?」

「これ、白峰だ」

「え?」

僕はパネルを覗き込んだ。

色を失った世界に気付けなかったけど、たしかに春人だった。

キャラメル色の照明の部屋の壁、見慣れた春人が、見知らぬ美少年のように、モノクロの写真に閉じ込められている。駅に張られたポスターみたいに、春人は素敵だった。

春人に会ったことがある人ならわかると思うけど、春人にはなんて言うか、言葉に出来ないムードがある。シルク製の塔みたいな。雨に濡れる夕陽みたいな。

僕は春人のそういう所がお気に入りだけど、たいがい、写メるとムードはなくなってしまう。ぱっちりとして顔はいいけど、面白みのない、普通の男の子になる。

だけど、パネルの春人は、春人のムードままだった。セクシーで、イノセントで、リスキーな感じ。言うなれば、匂い立つっていうやつ。僕の写メの中のどれより一番良かった。

眞はカメラのプロだ。張り合っても仕方ないけど、僕は悔しくなった。

「へえ。高いカメラ持ってるといいね」

僕は負け惜しみを言った。煉慈の加勢を期待したけど、彼はそれどころじゃなかった。

「何だよこれ……。だめだろ、これは! 勝手に白峰に何してるんだよ!」

「彼氏気取りだね」

「頭おかしいだろ、あいつ! 聖母役を嫌がっておいて、なんで変態サディストの前で脱げるんだよ!」

「カメラの授業料の代わりに、モデルになったんだよ。この前来た時に撮ってた。このベッドだよ」

キングサイズのベッドに寝転んで、ぽんぽんと花はシーツを叩いた。

なるほど。たしかに同じベッドだ。冷や汗を掻いて、煉慈は動揺していた。

「この部屋の魔力だ。雰囲気に飲まれたんだ。俺は絶対に正気でいるぞ……」

「眞のテクニックだよ」

「どんなテクニックだよ……!」

「お喋りだよ。卑猥な想像した?」

煉慈は僕を絞め殺そうとした。

首を絞められながら、僕は冷静にコメントする。

「カメラマンは、コミュニケーション能力が必要なんだって。モデルにいい顔させたり、脱がしたり、普段はちょっと出来ないポーズをさせてく」

「…………」

「僕らには難しいね」

眉を顰めて、煉慈は手を離した。僕らは友達が少ない。

誰かの心を開かせて、一番の物を見せて貰うなんて、ヤマタノオロチ退治よりも、ハードなミッションだ。

煉慈はパネルを外そうとして、外れなかったので諦めた。代わりに、セクシーな春人を睨みつける。

「あいつ、馬鹿だろ」

煉慈はもう一度言った。彼が怒る理由は、なんとなくわかる気がした。

「いいよ。この春人きれいだ」

「だから、危ないんだろ。性犯罪にあった自覚がねえのかよ」

それを言ったらアウトだよ、煉慈。

僕はあきれて煉慈を見上げた。煉慈は心から春人を心配してる。だけど、心ないことを平気で言う。

そんなことを言われたら、春人は傷付いて、話をまともに聞けやしない。だから、心配してる君の前じゃなくて、先生面したカメラマンの前で脱ぐんだよ。

きっと、幽霊棟に帰ったら、煉慈は同じ台詞を言う。馬鹿かよ、おまえって。春人はみじめな気持ちになって、モデルになったことも、煉慈と友達でいることも、後悔するだろう。

人づきあいが、へたくそだ。

僕は彼のために、アドバイスをしてあげた。

「他の男の前で脱ぐなって言えば?」

煉慈は僕を睨みつけた。誠意は伝わらなかったみたいだ。

花のヌードや、春人のセミヌードに、料理を作る前から煉慈は疲労していた。物憂げな照明に窒息しかけてる。

たしかに、これだけヌードに囲まれていると、僕らも全裸になった方がいいような義務感にかられる。

そして、キッチンじゃなくて、あの大きなベッドにダイブするんだ。

「アンニュイそうだね、煉慈」

「おまえは良く平気だな」

「どっちの裸も見たことある。煉慈だって、一緒にお風呂入るでしょ」

「おまえの姉貴とは入ってねえよ……」

「入ってもいいよ」

「いいわけねえだろ! 結婚前の女が!」

挙手する花に、煉慈は必死に言い聞かせた。

たぶん、僕ら姉弟の恋愛と、煉慈の恋愛は違う。きっと煉慈の恋愛は儀式めいている。

交換日記→デート→告白→手を繋ぐ→抱き合う→キス。こんな感じに。

すごろくみたいな煉慈の恋は、見ていて面白そうだ。アンニュイな煉慈の顔を眺めて僕は笑った。

「煉慈、アドバイスしても?」

「なんだ」

「この部屋で憂鬱そうな顔をしても、色っぽいだけだよ」

「…………」

「どうしよう、慰めてあげたいけど。間違いがあったら」

僕はそっと煉慈の手に、自分の手を重ねた。





ススム

-Powered by HTML DWARF-