April 8th is

モドル

  April 8th is  




芳香剤がミラーの下で揺れている。

煙草を咥え、ライターを手元に握りながら、津久居さんは僕に尋ねた。

「禁煙車か?」

「そこまでスタンバイして聞かれると、いいえとしか答えようがないですね」

「芳香剤も買ったことだしな」

津久居さんが煙草に火を付けた。白峰がうずうずした顔になって、槙原先生を伺って我慢という顔に変わる。

「帰りはもう少し混むかもね」

モールで買ったガムを配りながら、久保谷が言った。彼の顔を見て、僕は素晴らしいアイデアを思いついた。

「君と自転車で行った辺りに寄って帰ろうか。どの辺りだったか覚えてる?」

「覚えてるけど、あの辺山道だから大変じゃねえ?」

「どの辺りだっけ?」

「久保谷町寺前42」

久保谷は記憶力がいい。彼に嘘は付けないと思う。

「茅君と二人で出掛けたことがあるの?」

槙原先生に尋ねられて、久保谷は顔を赤くした。久保谷はよく脈絡なく頬を赤くする。

「茅サンを自転車で迎えに行って、俺のせいで事故っちゃったんだ」

「ああ、さっき茅君が話してくれたことか。怪我がなくて良かったね」

「瞠は足捻っちゃったんだよね。捻挫にまでならなくて良かったけど。お土産に竹トンボ買ってきてくれたんだよ」

「あの店はまだあるかな」

「どうだろう、あるといいね」

久保谷は声を弾ませた。

彼の期待を感じて、僕も胸を弾ませた。くすぐったそうな久保谷の笑顔が僕は好きだった。彼は本当に嬉しそうに笑のだ。輝くような大きな瞳、照れ臭そうな口元、無意識に竦める肩……。

「前を見ろ」

津久居さんに頬を押されて、僕は前方を見やった。久保谷から顔を背けた後も、自然に頬が綻んでいた。

あの店が前と同じようにあって、彼を喜ばせればいい。あの日のことはあまり覚えていないけれど、竹細工の玩具の店は覚えている。草で作った玩具のことも。

「国道出てから、そっちに回って帰ればいい。そこまで距離もないしな」

カーナビを触っていた津久居さんが告げた。窓の外に出した彼の煙草は、紫煙をくゆらす余裕さえなく、風に煽られていた。

助手席に座った津久居さんはうるさかった。出せとか、止まれとか、落とせとか、上げろとか。

後部座席では、久保谷に凭れて先生と白峰が眠っていた。二人を両肩にのせた久保谷は緊張している。なごやかな光景に僕も混ざりたかった。

「ハンドルを切りすぎなんだ。少しでいい」

「どうして、今行かないんだ。十分入れただろ?」

「無理に突っ込むな! 周りを確認しろ」

「……そんなに言うなら、津久居さんが運転すればいいじゃないですか」

罵倒され続けた僕は、低い声で告げた。二本目の煙草を咥えて、彼は眉を上げる。

「拗ねるなよ」

「拗ねていません」

「嘘吐け。すぐに拗ねて乗り換える。世話を焼く甲斐がない」

僕は津久居さんを見つめた。風になぶられる前髪が、落ち着かずにはためいている。

津久居さんは僕を見ていなかったが、僕を意識している気がした。彼は勝手にばつが悪そうに目を顰め、僕を見ないまま、僕の頬を押しやった。

「前を見ろ」

「津久居さん、甲斐とは?」

「蒸し返すな。後ろからバイクが来るぞ」

「何をして差し上げれば、甲斐を感じるんでしょうか」

「黙って運転しろ」

「あんたは贅沢なんだよ」

後部座席の久保谷が、笑いながら言った。誰を降ろすかを聞いた津久居さんのように、久保谷は人の悪い顔をしていた。

「茅サンが一人に懐くと思うなよ」

津久居さんがうろたえた。

フロントガラスの向こうで、桜の花びらが舞いあがる。

春の嵐のように。

「茅サンはキャパシティがでかいからな、誰か一人じゃ手に負えねえんだよ。誰と一緒の誕生日だと思ってる?」

眉間に皺を寄せながら、津久居さんが嫌そうに僕を見た。

「釈迦か」

意味がわからず、僕は微笑み返した。

「ありがたい話だろ」

「スケールがでかすぎる。自分で御せない物に俺は関心はないな」

「拗ねんなよ」

「二人は仲が悪いのか?」

棘のあるやり取りに、他意なく尋ねた。返答が揃っていたので、相性はいいんだと思う。

異口同音に彼らは言った。

「まさか」





国道を抜けて、見慣れた景色に戻ってきた。

カーナビの誘導に従って、僕は寺前の方に向かった。道幅が狭まり、くねくねした山道が多くなる。

満開の桜の木がしばらく続いた。アスファルトが薄紅色に染まっている。大きな桜の木の下では、子供を連れた女の人が絵を描いていた。

次第に道がなだらかになり、何もない田舎道が続いた。通りがかった寺社でお祭りをやっていた。お祭りではないのかもしれない。

見栄え良く飾られた花が並んでいる。

「そうか、今日は花祭りか」

目を覚ました先生が笑って言った。陽気な名前だ。花見とは別のものだろうか。

「たしか、この辺りだと思うんだけど……」

鮮やかな新緑に埋められた畑が両脇に広がった。久保谷が身を乗り出して、前方を指さす。

「向こうの土手、通ったところじゃないかな。あそこの傍に駄菓子屋があったと思うけど」

「行ってみよう」

徐行運転を止めて、僕はアクセルを踏み込んだ。

傾きはじめた陽が朱色を帯びて、田園の風景や、車内の時間を静止させる。

助手席で津久居さんは頬杖をついていた。

白峰はまだ眠っている。久保谷は真面目に目的地を探して、槙原先生はのんびり景色を眺めていた。

不意に、津久居さんが叫んだ。

「危ない――!」

はっと目を見開くと、風車を持った子供が目の前にいた。

反射的にブレーキを踏みこむ。

甲高い音が響いて、車は急停車した。がくんと車体が揺れ、眠っていた白峰も目を覚ます。

青ざめた津久居さんが尋ねた。

「当たったか……?」

衝撃は無かった。だが、確信は出来ない。スピードこそ出していなかったが、避けられない距離だったと思う。

サイドブレーキを止めて、僕は深呼吸した。

「わかりません。車を降りて見……」

僕が言い切る前に、物凄い衝突音が響き渡った。

目の前の土手に、軽自動車が突っ込んできたのだ。

「………!」

目の前で起きたことが信じられず、僕らは身を乗り出した。よそ見運転でもしていたのか、フロントがぺしゃんこになっている。

僕らはぞっとした。あそこでブレーキを掛けていなければ、僕の車に衝突して大事故になっていた。

運転手は無事な様子だ。車を降りて駆け寄ろうとした時、久保谷が足を止めた。

彼が見上げた土手には、見覚えのある栗の木と道祖神があった。

道祖神の傍らでは、風もないのに、風車が周り続けている。

「あっ……」

僕と久保谷は同時に声を上げた。











僕の誕生日は誰でも知る偉人と同じだ。

そんなことよりも、僕の誕生日には毎年桜が咲いて、景色がはなやぎ、春を感じさせる。

薄紅色は幸福な印象を与え、人々は身支度をし、待ち遠しげに微笑む。この季節に生まれて良かったと思う。






April 8th is  了

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