April 8th is

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  April 8th is  







アクセルを踏み込むと、なめらかに加速した。

エンジンの振動も座席にあまり伝わって来ない。教習車と全く異なる体感に僕は困惑した。静かなだけではなく、何かが根本的に違う。何かが非常に不慣れで……。

「ああ、運転席の位置が違うのか」

「今?」

槙原先生は青ざめて尋ねた。スピードメーターを見て、慌てた声を上げる。

「茅君、スピード出し過ぎ! 出し過ぎ!」

「あ、本当だ」

「スーっと早くなるね。スピード出てるのわからなかった」

窓の景色を覗きながら、楽しそうに白峰が言う。リラックスした白峰の両脇では、津久居さんと久保谷が真剣にアシストグリップを握り締めていた。

「茅サン、あの、茅サンの集中力を乱すようなら、後で言うんだけど。大丈夫そうだったら今聞いてもいい?」

「なんだって?」

「振り向かないで!」

「さっさと言え。おまえはいつも回りくどいんだよ、俺以外に対して」

「うるせえ駄犬。――カーナビはもう設定したの?」

言われてみれば、カーナビは道案内をしない。小さなモニタを覗く僕の後頭部に、津久居さんの怒鳴り声が飛んだ。

「前を見ろ!」

「何か設定しないと、案内してくれないんですか?」

「ナイトライダーだったら、自発的に喋ってくれるんだけどね。マイケル、次の信号は右です」

槙原先生の台詞の意味は、ひとつもわからなかった。

赤信号が近づいて、僕はブレーキを踏む。

「マイケル?」

「おお。荒っぽく踏み込んだのに、がっとならなかったね……」

槙原先生は返答をせず、安心したように言った。津久居さんも同意して頷く。

「車体の性能に救われてるな。槙原、おまえがカーナビをセットしろ」

「あんまり良くわからないんだよなあ、カーナビって……」

身を乗り出して、槙原先生はモニタに触れた。すました女の声が喋り切る前に、槙原先生は画面を進めていく。途切れ途切れの彼女が何を言いたいのか僕は気になった。「画面を……」「行き先を……」「設定……」

「車、ずっと幽霊棟に置いておくの?」

白峰が尋ねた。彼に話しかけられて、僕は嬉しくなった。振り向きかけた僕の頭を、津久居さんが押し戻す。

「青」

ブレーキペダルを離して、僕は車を進めた。座席の位置が違うせいで右側が見え難い。左目の視力が弱いから、調度いいのかも。

「本免許を取って親戚の家に挨拶に行ったら、どこかで預かって貰うつもりだよ。通学に使えそうにもないし……」

「置いておけばいいのに。辻村の買い出しの時とか、荷物持ちしなくて済むよ。先生だってあれば乗るよね?」

「僕はもっと小回りがきく車がいいな。大きい車って擦りそうで」

「預ける場所は決まってるのか」

「いえ。これから探す予定なんですが……」

「前に自転車来てるよ、気を付けて」

言いかけた所で、久保谷の忠告が飛んだ。主婦らしき自転車をこぐ夫人を視界の端に認めて、僕は話を続ける。

「どこかいい所知りませんか」

「俺が預かってやろうか。たまにはメンテナンスで乗ってやってもいい」

「本当ですか?」

「騙されないで、茅君。何がメンテナンスだよ、乗りたいだけでしょ」

「春人は俺とドライブに行きたいよな」

「車で? 音楽聞きながら走れるのはいいね」

津久居さんは白峰を味方につけようとした。

「でも、賢太郎のアパートの前にこの車が停まってるのは、なんかアンバランスかも」

揶揄する白峰に、津久居さんは言葉に詰まった。眉を上げた久保谷が、窓の外を見つめる。

「身の丈相応なモンを持てってことだよ」

「そうだよ。僕は軽の方が安心します」

「高校生にBMWは身の丈相応だって言うのか」

「いいじゃない、バイクもかっこいいよ。俺はどっちにしようかな」

楽しげに白峰が声を弾ませる。白峰が楽しいと僕も楽しい気分になった。彼の顔を見ないで、声だけ聞いているのは変な感じだ。振り返ると怒られるから、僕は白峰の顔を想像した。

柔らかい笑い方。本当に嬉しい時は頬が緩んで、もっと優しい顔立ちになる。特に口元が優しい。短く息を吸って吐き出す、苦笑にも似た……。

「茅君、一時停止」

僕ははっとして、見通しのいい交差点で車を止めた。

後部座席では会話が続いている。

「どっちにしようかって、バイクを買うつもりか?」

「うん、迷ってるけど」

「おまえには無理だ。車体を起こせないと免許は取れない」

「持ちあがるよ!」

突然、白峰が声を荒げたので、僕はびっくりした。

振り返ると、白峰は不機嫌な顔で足を組んでいる。先程まで機嫌が良かったのに、何故機嫌を損ねてしまったのか……。

「茅、前見て。危ないでしょ」

叱られてしまった。白峰の膝をぽんと叩いて、久保谷が笑う。

「ハルたんは車の方がいいよ。音楽も聞けるし、友達もたくさん乗せられるし。バイクは友達がいない奴の乗り物だよ」

「なら、おまえはバイクがいいな」

白峰の背中越しに久保谷と津久居さんが睨み合う。白峰は眉を吊りあげて、津久居さんの肩を押しやった。

「意地悪。槙原先生もなんか言ってやってよ」

槙原先生は返事をしなかった。助手席を見やって、僕は皆に報告する。

「寝てます」

「寝てたら意味ないじゃん!」

「マッキー、起きて! マッキー!」

後部座席から久保谷に肩を揺さぶられて、槙原先生は目を開けた。

レンズの奥の瞳が細められ、また閉じられる。ゆっくりした瞬きはとても良かった。いつもそうだけれど、外の世界から視線を離して、一旦彼を眺めると、時間をリセットするような穏やかさがあった。

口元を拭って、無防備に彼は呟く。

「寝ちゃった……」

僕は笑った。ほっとしたように、久保谷が肩の力を抜く。

「免許持ってる人が眠れるってことは、安全運転なのかな」

「あいつは危機感が薄いんだ。春人はよく寝ないな」

機嫌を取るような柔らかい声で、津久居さんが白峰に尋ねる。

「寝ないよ。せっかく茅が運転してくれてるのに」

「すいません……」

「違う違う、先生をディスったわけじゃないよ!」

カーナビの女の人が言った。次の交差点を左です。

槙原先生が姿勢を直して、信号待ちで並ぶ車体と、道路標識を見つめた。

「国道に入るのか。交通量増えるから気を付けてね」

「はい」

左折して入った道は、四車線になっていた。制限速度も高くなり、どの車も飛ばしていく。車の数は少なく、僕は左車線を走った。真っ直ぐな道を走るのは気持ちが良かった。

不意に思いついて、僕は窓を開けた。新鮮な空気が勢い良く車内に飛び込む。彼らの髪を巻きあげて、ばたばたと風は暴れた。彼らは非難めいた顔をした後、大きく息を吸い込んだ。

気持ちがいい、と誰かが言って僕は気付いた。僕も気持ちが良かった。彼らを乗せて走る車を、僕が運転していること。

「楽しそうだね」

髪をなびかせて槙原先生が笑った。

僕は頷く。

「ええ。貴方たちの命を僕が預かってると思うと、気分がいいですね」

「…………」

車内は沈黙した。僕は気を効かせてみる。

「BGMでも付けましょうか?」

「余計な娯楽は楽しまないで! ちゃんと前見て耳澄まして!」

「わかった。清史郎がいないのが残念だね」

僕が呟くと、津久居さんが腕を組んだ。意地の悪い言い方で首を傾げる。

「清史郎がいたら、誰を降ろした。この車は五人乗りだろ?」

「誰も降ろしませんよ。清史郎はトランクかな」

「俺の弟を物みたいに扱わないでくれないか」

「清史郎は喜ぶと思うよ」

「茅サン。なんか後ろにぴったり車が張り付いてる」

バックミラーで背後を視認した。久保谷の言う通り、派手なスポーツカーが後ろに迫っていた。

「右車線に行けばいいのに……」

「煽られてるんだ」

津久居さんは不機嫌に言った。背後を振り返って、彼は眉を顰める。

「ガキが調子に乗りやがって……」

「たまたま近づいちゃったのかもしれないよ。スピード出したら離れるんじゃない?」

槙原先生の提案に、僕はアクセルを踏み込んだ。なめらかにエンジンが唸り、制限速度を越えて走っていく。みるみる後続のスポーツカーと距離が離れた。

すると、後ろを走っていたスポーツカーが、右車線に路線変更するやいなや、馬力を上げて僕の車を追い抜いた。再び左車線に戻って、僕の車の前方を塞ぐ。

スポーツカーは左右に車体を振って、挑発するような動きをした。

「危ないなあ」

「むかつく」

それぞれの感想があった。舌打ちの音を響かせたのは、津久居さんだった。

「ウィンカーを出して右車線に行け」

僕は従った。誰かの制止を無視して、彼は好戦的に短く言った。

「飛ばせ」

どのくらいだろう、と思案しながら、僕は思い切りアクセルを踏み込んだ。

とても静かに、だが圧倒的な馬力で、押し出されるように車はスピードを上げた。あっという間に景色が後ろに飛び、スポーツカーを追い抜いていく。

だけど、スポーツカーもすぐにスピードを上げてきた。競り合われているのだ、自覚した僕はハンドルを握る指にある種の興奮を感じた。

「止めなよ、危ないって!」

アシストグリップにしがみついて、槙原先生が悲鳴を上げる。

白峰は久保谷にしがみつきながら、緊張と闘志を混ぜていた。冷静にスポーツカーを眺めていた久保谷が僕に報告する。

「女連れだ、無茶はしないよ」

前方の左車線に軽トラックが走っている。僕らのレースに気づいて、迷惑そうに左に寄った。あそこまでが勝負だろう。

スポーツカーは僕の車を追い抜いて、右車線に出ようとする。チャンスを塞ぐために、僕はタイミング良くスピードを上げる。スポーツカーも安全を意識してる。となれば、これは駆け引きだ。

恐怖心を感じた方が負ける。

僕はわざとスピードを緩めた。すかさず、スポーツカーが前方に出ようとした瞬間、思い切りアクセルを踏み込む。

「茅君、何キロ出してんの……!?」

接触を恐れたスポーツカーが、慌ててハンドルを左に切った。道を譲ったスポーツカーを、僕は遠慮なく突き離していく。

左前方の軽トラックを追い抜いて、しばらく行ったところでスピードを元に戻した。スポーツカーはもう追ってこなかった。

窓の外を流れる景色が、ゆるやかな物に戻る。

大きく息を吐きだした槙原先生が、空のペットボトルを津久居さんに投げつけた。津久居さんはひょいと避けて、跳ねかえったボトルが白峰の頭に当たる。

久保谷は満足そうだった。良かった、と僕は思った。





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